ヨソモノであり続ける
2014年10月に4回に分けて山陽新聞に記事を書かせていただきました。山陽新聞さんのご了解をいただき、その内容を個人ブログにも掲載させていただきます。

1.ヨソモノであり続ける
西粟倉村に関わらせていただくようになって10年近くになるが、未だに単身赴任で、住民票は村にはなく、村に骨を埋める予定もない。「村民になったらどうだ」と言っていただけるのはうれしい。でも、自分のような不器用な人間は、ヨソモノであり続けるべきだろう。
地域でも会社でも、簡単に合意形成できることだけが実現されていく。たとえ悪循環の流れの中にあることでも、既定路線にのっていれば合意が得られやすい。だから合意によって悪循環から離脱して好循環を生み出すというのは無理なこと。批判を浴びながら行動し、なんとか結果を出し、その結果によって事後的に合意をとるしかない。そこまでいけば、新しい流れにそって物事が動く。しがらみを背負いながら既定路線から離脱していく力のある人もおられる。しかし、そんな器用さや精神的な強さは自分にはない。
(株)西粟倉・森の学校は創業から間もなく5年。私がヨソモノでなければ、おそらく経営責任者になることもなかった。結果が出せなければ、村から出ていくことになるだろうが、ヨソモノだからこそ出ていくこともできる。ただしその時は、借金返済の責任は出ていく私について来る。そういう責任も負わせていただいているから思いきった挑戦もできる。良い結果が出せたら、つまり森の学校の経営が安定成長軌道にのればどうなるか。私の役割は終わるので、やっぱり村から出ていくことになるだろう。1つの冒険の旅が終われば、また次へ。ゴールは自らの存在価値を失うこと。そういう仕事だと思っている。

2.可能性を見つけ出す仕事
職業を聞かれても未だにうまく答えられない。起業を目指す方々の研修講師をさせていただくこともあれば、企業や行政のコンサルタントとして仕事をすることもある。ほとんど無報酬だが、役員として経営に関わる会社も4つほど。時間配分的には森の学校50%、その他50%ぐらい。未だに自分がやっていることをうまく言語化できないが、「そこにある可能性を見つけ出して目に見える形にする仕事」だと思っている。どんな地域にも、人にも、木にも、なんらかの可能性があると信じている。だが、自分の力量が足りない場合には、見つけることができない。でも見つけようとしないと見つからない。森の学校のオリジナル商品で、ユカハリタイルというものがある。腐れなどの損傷がある板でも、短い長さにして使える部分だけを使って商品にすることを目指して開発した。タイルカーペットの代替品としてオフィスの床などで使われていて、年間6万枚ほどの生産量になっている。この商品が売れるようになって、たくさんの間伐材を使うことができるようになった。しかし、こうして商品にすることができたのは、まだほんの少し。村には、見つけることができていない可能性はまだまだある。可能性は見えているが、形にできていなものもたくさんある。商品として形にできたものは、村にある可能性の数%もないだろう。やるべきことはまだまだ無限にある。だから、地域の中で、多様な挑戦が次々と生まれてくることが大事だが、どうすればそのような状況が作れるのか。悩みながら試行錯誤している。

3.仲間を増やす
地域に無限にある可能性と向き合うためには、仲間が必要だ。多種多様なチャレンジが地域から生まれてこないといけない。森の学校という1つの会社だけでは、どうにもならないことだ。森の学校を卒業して村で起業した人も多い。最近ではablabo.の大林さん。自分が納得できる食用油の製造販売を手掛けるという。簡単ではないと思うが、こういう個性的な挑戦が増えていくことで、多様性が高まって行く。自分としては、こういう人たちは大事な仲間だと勝手に思っているが、共通する目的は持っていなくていいと考えている。同じ地域で何かにチャレンジしているということだけで価値があるし、それぞれが精一杯そこで生きていくということに意味がある。「俺は俺ができることをここでやってみる。お前はお前のできることをここでがんばれよ。」そういう「ここ」が共有できている感じの仲間意識。そういう「緩やかな仲間たち」が増えていく中では、たくさんの連携も生まれるが、その一方でお客さんを奪い合うような競争も発生する。それはそれで必要なことだろう。切磋琢磨していくことで、強い群れになる。その結果として、多様性に富む魅力的な地域が醸成されていくだろうから。西粟倉村の若杉原生林では、いろんな木や草が、それぞれの個性を持ちながらそこで、厳しい生存競争の中で切磋琢磨しながら生きている。生まれたばかりの小さな子どもの木もあれば、数百年を生き抜いてきた威厳のあるおじいさんの木もある。地域社会を考える上で、森はとても良いお手本だと思っている。

4.地域の沈静化を目指して
地域は活性化すればいいのか。活性化させようとする仕事をしながら、いつもこの問いが頭の中にある。このまま行くと悪循環が加速していくので、その悪い流れから離脱するためには、やはり活性化というフェーズは必要だろう。でも、活性化し続けていればいいのか。右肩上がりの経済成長を際限なく追及するのか。それも違う気がする。やはり、地域はどこかで沈静化すべきだ。あたり前の日常を大切にしながら、穏やかに日々が流れ、子どもを産み育てて、その子がまた親になっていくということが繰り返されていく。いつか、そういう沈静化にたどり着くべきではないか。そこにたどり着くための手段としての活性化なのだろう。悪循環から好循環へのシフトが活性化というフェーズで、動的平衡状態に達するとうのが沈静化ではないかと考えている。動的平衡状態というのは、西粟倉村の若杉原生林のように、常に新しい命が生まれ、また同時に死んでいく命もあるが、全体としてはほぼ一定の状態が保持されている成熟した状態のこと。いつか沈静化した西粟倉村を見てみたいと思うが、自分の役割は活性化のフェーズを軌道に乗せていくところまで。地域に眠る可能性を掘り起こす挑戦者は、私が何もしなくても次々に出現してくるようになっていて、そろそろ自分のゴールである「存在する価値を失う」という状況に近づいているのではないか。いや、すでにそうなっているかもしれない。少なくとも、区切りをつけるタイミングを考える時期にはなっている。
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嬉しくて、悔しくて、羨ましい FURERUという暮らし方
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FURERUの西原さんと山田くん

 西粟倉村には、FURERU(フレル)という「木工+ご飯屋さん」の夫婦ユニットがいる。この二人にとってはワーク・ライフ・バランスとかいう流行り言葉は恐らく意味を持たない。ワークとライフが一体のものであり、互いに対立するものではないからだ。お金を使うことよりも丁寧に時間を使う上質な田舎暮らし。その暮らしと一体となったものづくりを追求し、生活に必要なお金はそれでなんとか稼ぐ。お客様に提供する食事や食器は、自分たちが普段の生活で使っているものたち。

実はこの夫婦、元は森の学校の社員だった。その時にはワーク・ライフ・バランスということで悩んだかもしれない。彼らが悩みながら森の学校を卒業(退職)して、生き生きとして夫婦ユニットで活動している姿を見るにつけ、「嬉しい」と「悔しい」が混ざった複雑な気持ちになる。卒業生が元気に頑張ってくれていることはとても嬉しい。でも社員のときに今ほど生き生きとした感じがなかったということは社長としては、うーん悔しいしなぁ・・と思う。個人的にもこんな暮らしがしたいなぁと思いながらも、そうもいかないので、「羨ましい」という気持ちもある。。


豊かな日常のおすそ分け 難波邸フレル食堂

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山田・西原の日常の食卓には、お金では簡単に手に入らない食材と器たちが並ぶ
木製のスプーン、フォーク、トレーは、山田くんの手作り


FURERUの二人の日常の豊かさをおすそ分けしてもらえる場所が、難波邸フレル食堂だ。
先日、大事なお客様が西粟倉村に来られたので、フレル食堂に食事を頼んでみた。その時にいただいたお料理の一部を紹介。

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フレル食堂の厨房に立つ西原さん


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海士町のイワガキ(春香)
地域と地域のつながりが、それぞれの地域をさらに豊かにしていくということを実感する。

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フレル食堂定番のシカ肉のロースト
西原さんは解体女子なのでジビエ料理が得意

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イノシシ肉

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スズメバチの幼虫

イノシシとスズメバチは「これ、いなかからのおすそ分けです」の著者として知られるフクちゃんから仕入れている。
西粟倉村だけでなく、こだわりの強い生産者から直接仕入れを行っている。どんなにたくさんのお金を出したところで食べられない希少価値の高い食材ばかりがならぶ。ほんとにいいものは、流通しないわけである。

「美しい」から「美しくて使いやすい」へ
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山田くんは難波邸のセレクトショップの運営fシリーズという間伐材家具ブランドの運営もやっているが、木製カトラリー作家としての活動にも力をいれている。こう言うと山田くんには申し訳ないが、山田くんの作品は山田くんだけは完結していない。西原さと一緒に暮らす中で磨かれた作品たちだ。
西原さんによると、昔の山田くんが作るカトラリーは「美しいが使いにくい。使いにくいから自分も使わなかった」という。どうすれば食べやすいか、洗いやすいか・・など、西原さんと一緒に考えながら「美しくて使い易いカトラリー」へと進化していった。

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「美しくて使いやすい」に到達した山田くんの作品

FURERUの二人の暮らしは、やはり羨ましい。こういう暮らし方ができたらいいなと思う。こんなことを書いていると、「だったらなんで家族をほったらかしにして仕事ばっかりしてるわけ??」と嫁さんに言われそうだ。「矛盾があるから面白いんだよ。でも、ごめん。」と答えるしかないかな。


難波邸フレル食堂
フレル オンラインショップ(木製カトラリーなど)
山田くんが手がける間伐材家具ブランド fシリーズ
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小村力革命(しょうそんりょくかくめい)
昨日のいとうせいこうさんのトークショーの余韻が残るなか、いとうさんの言葉と、いとうさんに刺激を受けた人達の言葉を思い出している。

トークショー開催前のいとうせいこうさん(中心)と、トビムシ代表の竹本(左)と牧(右)。
モクタイ装着で。

国を頼りにしていても何も始まらない
もうすぐ選挙があるけど、国家という枠組みとは無関係に、変えていけることはたくさんある。小さな村が、主体的に未来を作っていくチャレンジを重ねて行く、小さな村のチャレンジが、他の小さなチャレンジングな村とつながって、村と村のアライアンスが広がっていく。村とつながっていたいお客さんが増えて行って、そのお客さんを村と村が互いにシェアしていく。そんな連鎖反応が起きて行っていくと、それは「密かなる革命」と言ってもいいかもしれない。「この小さな村の挑戦は、実は静かに気付かれずに進行しようとしている革命である。大げさな言葉だが、革命と言っていいほど、これからの社会を形成する重要な変化をもたらすものだ」といとうせいこうさんは仰っていました。国全体の行き詰まり感の中で、国に期待せずに、密かなる革命をどんどん推し進めていきたい。この革命は、どうどうとやっていても抵抗勢力が現れない。むしろ応援する人ばかりが増える。そもそも革命として認識されない密かなる革命だからだ。

小村力と心産業
トークショーの最後にいとうせいこうさんにより発せられたキーワードは、「小村力」であった。小さい村だからこそ、できることがたくさん。小さな村であるということを、とてもとてもポジティブに捉えることができる言葉だ。「小村力」という言葉に反応して自分が思い出したのが、「心産業(しんさんぎょう)」という言葉。これは、2004年に合併を拒否し、自立を決めた西粟倉村において、その翌年(2005年)から使われ始めた言葉だ。村が自立した経済圏を形成していくためのコンセプトである業。心(しん)と新(しん)をかけてあわせて、新しい産業のあり方を、この小さな村から生み出すという決意を言葉にしたものでもあった。心と心のつながりを豊かにしていこう。そして森を豊かにしていこう。社会関係資本(心の生態系の豊かさ)と自然資本(森を起点とする自然生態系の豊かさ)を充実させ、その上に人々の生活が成り立っていく社会を目指すという挑戦が、心産業という言葉によってスタートした。
そして2008年、それを具体化していくために、百年の森林構想というビジョンが掲げられた。心産業、百年の森林構想という力のある言葉がうまれることが、大きな推進力になってきた。そして・・・・
2012年11月24日に、いとうせいこうさんにより、西粟倉村という場所で言葉になった「小村力」。この言葉にも、とても大きな力が宿っている。2005年の心産業、2008年の百年の森林構想、2012年の「小村力」。自分の中では、すでにこれらがひとつながりのキーワードとなっている。

小村力革命というソーシャルイノベーション
「小村力」というキーワードで、村と村がつながり、密かに、そして静かに進む革命を、1つの言葉にするとしたら「小村力革命」となるだろうか。この「小村力革命」は、たくさんの小さな村と、その応援団になってくださる人達によって、静かに、そして密かに進行する草の根のソーシャルイノベーションなのだと思う。国ではなく、自分たちひとりひとりが、ソーシャルイノベーションの担い手として存在するということを認識することが起点になる。

トークショー動画はこちらです。http://www.youtube.com/watch?v=PuP4U5HNrGI
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クローズアップ現代でカットされた場面の中に、国産材のほんとの可能性があった
11月13日にクローズアップ現代で西粟倉村の取組をとりあげていただきました。タイトルは、「眠れる日本の宝の山」
↓番組の内容はこちらで見ていただくことができます。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3273.html

残念ながら大幅にカットされしまった部分は、「商談成立!」という字幕が出た場面の前後。

商談が成立したお客様は、大阪の吹田市で建売中心で年間80棟の家を建設されているアイワホームさん。屋久島出身のバイタリティあふれる竹中社長は、「無垢の床の方がお客さんが喜ぶから、ちゃんと丁寧に説明した上で無垢を使う方がええんや」と仰います。「建売で無垢床」の工務店さんがあるというのは、私たちもとても意外でした。建売=新建材ペタペタというイメージだったからです。でも、竹中社長がほんとにお客さんがそこで健康に快適に暮らしていけることを追求しておられて、その結果として無垢床を標準にしておられて、壁もビニールクロスは使っておられません。
「車で10分でいける範囲しか家は建てないようにしている。その範囲なら何かあってもすぐに確認にいけるから。」という地域密着型。狭い商圏に絞り込み、そこで圧倒的な支持を受けている吹田市でナンバー1の工務店さんです。

クローズアップ現代のロケでは、西粟倉村のスギの床板を試験的に使っていただいたモデルハウスにもカメラが入っていました。担当のディレクターも、カメラマンも音声さんも、そのモデルハウスに入った瞬間から、表情が一気に明るくなりました。その日まで、各林業地で取材をして、明るい展望が全く見えなくなり、ぐったりしていたところに、無垢床の気持ちのいい家があり、そこで西粟倉のスギが使われていたわけです。ロシア産のパインの床板を使うことが多かったアイワホームさんが、全面的に西粟倉のスギの床板に切り替えることを決定された。そして、その空間がとても快適なわけですから、まだまだ日本の林業にも可能性があると、NHKのディレクターさんも実感されたようでした。「こんな素敵な家が増えて行けば、国産材の需要はまだまだ増える。こんないい家が建売であるなら、売れるに決まってるじゃないですか・・というか、自分もこんな家を買いたいんですが、関東にはないんですか」「うちは、地域密着でやってるから、関東は無理ですよ」撮影スタッフの方々とアイワホームの竹中社長との間で、こんなやりとりもました。

しかし、その場面は編集でカットされ、「商談成立!」という字幕でまとめられてしまうことに・・・ これは大変残念でした。

アイワホームさんのような「建売で国産材の無垢床」はこれから増えるのでないかと思っています。理由は、「高級な本格的な木の家の注文住宅」という選択肢と、新建材をぺたぺた張った安価な建売という選択肢しかなかったなかで、実はその中間の、「ほどほどの価格で自然素材」というニーズが潜在的には大きいということをアイワホームさんは実証されています。建売を中心にして月単位で建てる家の数が安定しているということは、材料屋である森の学校にとっては、大変ありがたいお客さんです。安定した販売先の確保ができれば、安定した工場の運転ができます。森の学校の工場は、小さな規模ですが、それでも固定費がとても大きいので、その固定費を超える安定した売上の確保がものすごく重要なのです。なので、安定した出口があれば、価格をある程度さげながら利益を出すことも可能になります。単純に外材より安いかどうかとか、そういう話の中では、出口の安定性の問題はあまり取り上げられません。しかし、実際の工場運営の中で、もっとも重要なのは出口の安定性なのです。

アイワホームの社長さんは、「だいたいの材木屋は平気で悪い材料を混ぜて納品してくる。正直な商売をする材木屋に会ったことがないが、あんたらは信頼できる」と言ってくださっています。もちろん材木屋さんもいろいろだと思いますが、木はいいものだから使いたいという気持ちをもってくれている工務店の社長さんが、材木業界についてそのようなイメージを持たれているという事実は、とても重いことです。

アイワホームさんとのお付き合いで分かってきたことは、次の2点です。

・無垢材を求めているお客さんは実際にすでにたくさんいる。
 でも、お客さんがほんとに求める家を提供できている工務店さんが実は少ない。
・国産材を扱うことに興味のある工務店さんも実は増えつつある。
 縮小していく住宅市場だからこそ、本物でなければ生き残れない時代に入りつつある。
 つまり、住宅市場が縮みゆくことを嘆くのではなく、そうだからこそ、
 本物が大切にされる時代が来ると 捉えるべきなのだと自分は考えています。

小さな村の中で間伐材を有効活用しようとする森の学校の工場と、地域密着で年間80棟というアイワホームさんが、規模的にも相性がよかったところもあります。流通は、規模がうまく合わないといけません。大規模な製材工場だけですべてのニーズは満たすことはできませんし、ニッチな市場はたくさんありますので、その地域や会社の事業規模に会った市場に適応していくことがとても重要なのだと思います。

商談成立!の背景には、以上のようにいろいろな要素が絡み合って、共存共栄の関係を構築していけると双方が思うことができたということがありました。西粟倉村の間伐材の安定した出口をどうやってつくっていくかが重要な森の学校にとって、アイワホームさんと出会うことができたのは大変大変ありがたいことでした。こういうありがたい関係が広がっていくと、たくさん間伐材を使っていただくことができて、快適な家に住む人も増えていくし、森も地域も元気になるはずです。

快適な家に住むことができる人、快適なオフィスで仕事をできる人を増やしていくために、精一杯がんばっていきたいと思います。森の再生はその結果としてついてくることでしょうから。
| - | 08:57 | - | - |
百年かけて成熟する人の和を目指して
2006年ごろだったと思うのですが、「森林再生のカギ」という書籍の出版計画がありました。結局その本は出版に至らなかったのですが、その中で自分は「公的制度」に関する章を担当していました。2000年から2004年あたりはずっと森林・林業関連の制度設計などを手がけていましたので。

制度論に関する章とは別に、終章の一部分も担当になっていて、その原稿がひょこっと出てきたので、ブログに掲載しておきます。

「共有の森ファンド」が山村においてどのような意味を持つ挑戦なのかを次に書くといいつつ長い間ブログを
ほったらかしにしていたんですが、その話に入る前にちょうどよい内容だと思ったものですから。


「100年かけて成熟する人の和」を目指して

1.天の時、地の利、人の和
大事を成し遂げるには、天の時、地の利、人の和の3つが揃わなければならないとよく言われる。森林再生という大事は、いつどのようにして誰によって成し遂げられるだろうか。今は向かい風も追い風もたくさん吹いている。追い風の勢いが増して天の時がもうちょっとで来るかもしれないが、それはかなり先のことかもしれない。
地の利は、どうだろうか。日本の地形は急峻で、そして森林の所有は小規模分散型で、他の先進国に対して優位になれる材料は少ないと一般に言われる。しかし、地形が複雑で急峻だからこそ、日本には美しい自然がある。森林の再生というのは、日本の美しさを再生させていくこととほぼ同義であると私は思っている。社会が成熟し人々が本物の豊かさを求める時がくれば、日本という国には地の利があるのではないだろうか。
人の和は、人がつくっていけるものだ。天の時が来たときに、それをものにすることができる人の和をつくっておくようにしなくてはならない。誰か一人が、大事を成し遂げるのではなく、おそらく様々な立場にありながら、森林再生という志を共有し想いがつながっている人たちによって、大事が成し遂げられるのだろう。森林再生を成し遂げるための人の和を、天の時が来たときのために、つくっていきたいと私は考えている。

2.森林再生システムと林業塾
速水さんが社長を務める(株)森林再生システムの設立に私も参加させてもらった。当時、新しい風がいろいろと吹き始め森林再生のための天の時が間近に来ているかもしれないという感覚が強くあった。だから、まず森林再生システムという会社を立ち上げて、時が来る前に動きがとれる体制を整えておくことにしたのであった。会社を作ってもそこに人がいないことには体制が整わないので、何もできない。しかし、森林再生という大仕事が、すぐにビジネスとして形になるわけでもない。そういう状態でつくった特殊な会社だった。林業に例えるのであれば、すぐに収穫して収入が得られるわけでもないのに、まず植林のための地ごしらえをしたようなものである。しかし、未来のために、それは必要なことであった。
地ごしらえができたら、次に苗木を植えるという作業だ。森林再生システムにとって、これから育て上げていく苗木は、全国各地から速水林業の森に集まってくる志ある若者たちであった。そのための仕掛けとして実施したのが、2004年にスタートした林業塾であった。

3.林業塾2004から林業塾2005
林業塾2004の企画・運営は、私が主担当者としてやらせてもらうことになった。私は、農学部林学科を卒業してから民間のシンクタンクに就職したが、林業についての知識はほとんど就職して仕事をやりながら得たものであった。会社でも森林や林業に関する仕事をしている先輩はいなかったので、仕事を通じて速水さんらと出会い、林業の現場に接し、ほとんど耳学問で林業に関する知識を習得した。だから、大学では林業に関する実践的な講義や実習はほとんどないということも良く分かっていたし、現場に接しながら学ぶことの大切さも経験的に分かってきていた。そんなわけで、林業塾のプログラムは、「自分が学生のときにこんな実習がもしあったらよかったのに・・」と思うような内容にした。実際、自分が学生のときに林業塾に参加していたら、社会人になってから手探りで何年もかけて勉強したこと要点は、ほぼ1週間で学生のうちに体系的に習得できただろう。
林業塾2004には、日本全国から森林に対して非常に意識の高い熱心な人たちが塾生として集まった。学生の他、若手の林業家、林野庁キャリアの若手、県の林業職の職員、企業OBなど、様々であった。期間中は、毎日フィールド研修と講義を繰り返し、夜は遅くまで参加者と講師が一緒になって飲みながら語り合った。
「林業塾に来て林業の未来に希望が持てるようになった。」という参加者の感想が多かった。先進的な林業経営を行う速水林業に触れたことや、熱心な講師陣の存在がそのように思わせた部分もあったようだ。しかし、「森林について想いを持つ仲間が林業塾でたくさんできたのが一番の収穫だった。」という感想も多く、そういう仲間ができたことによって、林業の将来が明るく感じられるようになった部分もかなりあっただろう。
林業塾の主催側であった私は、「林業の未来に希望が持てるようになった。」と言ってくれる若者たちの姿を通して、明るい林業の未来を見つけ出すことができた。さらにうれしかったのは、林業塾の卒業生の中から、森林組合などの林業関係の職場に就職した人が確認できているだけでも6人も出てきた。林業塾で刺激を受けただけでなく、実際に林業の現場に飛び込んで、これからの林業を担っていく決心をした人たちがそれだけでてきてくれたのである。
うまくいくかどうか半信半疑で始めたところもあったが、終わってからは林業塾を毎年継続していくことができれば、森林再生を実現していくための人の和が確実に広がっていくはずだと考えるようになっていた。
翌年は林業塾2005を開催した。2004と同様に、全国から精鋭が集まった。1年目の2004で、真剣に林業をなんとかしようとしている若者たちは全員来てしまっていて、2年目にはもう来ないかもしれないと思うほど、2004の参加者はすばらしかった。しかし、2005でも、またすばらしい参加者に恵まれた。まだまだ、日本の中には林業をなんとかしたいという想いを持つ人たちがいるのだということが分かり、それだけでもとてもうれしかった。林業塾2004年の卒業生で森林組合に就職した遠藤さんに講師の一人として来てもらった。他にも、顔を出しくれた卒業生が数人いた。林業塾2006、2007と回を重ねていくごとに、OBの層が厚くなっていくのがとても楽しみである。

林業塾ではそれなりの参加費をいただいているので、参加者の本気度は非常に高い。だからこそ参加者にとっても充実した時間になる。しかし、それで主催している森林再生システムの方で利益が出ている訳でもない。かなり膨大な人手がかかる事業だからだ。しかし、スタッフも手を抜くことをなく、海山町の林業関係者もほんとうに誠心誠意サポートしてくれる。理由は簡単で、林業のことを真剣に考えているやる気のある参加者を塾生として迎える時間をともにするということが、とてもうれしくて楽しいのだ。私自身そうなのだが、地元の林業関係者も速水林業のスタッフも、普段にも増して林業塾の期間中は元気になる感じがある。同じ方向を持つエネルギーが同じ場所に集まると、それが増幅されるようだ。

4.森林再生を支える人の和
林業塾はまだ2回しか開催していないのだが、収益がでなくても、十分に持続可能な事業だ。関係者が元気になるし、何よりも確実に森林再生を支える人の和がこれによって広がっていくからである。林業塾の卒業生たちが、林業関連の事業者として、また行政職員として、全国各地で活躍しながらも、横のつながりを維持し、それが毎年林業塾を重ねるごとに層が厚くなっていくということを創造すると、これからの大変楽しみである。
林業塾に来たときは、まだ小さな苗木だった若者たちも、全国でこれから大きく成長していくことだろう。これから、何度か森林再生のための天の時があるかもしれない。そのときに、速水林業でともに学んだ同志たちの人の和が、大事を成し遂げていくことに貢献してくれるのではないだろうか。

林業というのは、次世代のために森を育て残していくことを目指すという仕事だ。次世代に引継いでいくという楽しみと夢が、林業にはある。この時間の長さこそが、林業の魅力だと思う。
林業塾を通じて人を育て、人の和を広げていくということも、長い時間をかけて地道にやり続けてこそ成果が出るものであり、だからこそ夢がある。次世代のために苗木を植え続けてきた先人のように、次世代のために人材の発掘と育成を地道に続けていきたい。
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日本の田舎の問題はきちんと資本主義が定着していないことだ。
ブログが新しくなりまして、その最初の書き込みになります。
ずいぶん長くブログをお休みしてすいませんでした。

さて、日本の田舎を再生していくために必要なことはなんだろう、問題の本質はどこにあるんだろう・・・ということについて、自分なりの考えを思い切りよく書いてしまうことから、新しいブログを始めようと思います。

その人の生み出す価値と収入の因果関係。

日本の田舎というのは、きちんとものを売っていくことで対価を得ることをしていない。
その人の生み出す価値と収入の因果関係がなくなってしまっている。

経済の中心は役場になってしまっている。そして役場はお金を配るところになってしまっている。役場からうまくお金をもらうことができる人が財産を築いてきた。土建屋さんはその中心だし、土建屋さんが仕事をして、その時に立ち退きが発生して補償金が出て、それで新築の家ができて大工さんの仕事になる。そういう役場から流れるお金で地域経済が支えられて来たという田舎が多い。田舎に行くと立派な家がたくさんある。しかし、その中には保証金により新築になった家も多い。

「自分たちの税金を役場が無駄使いする・・・・」と役場を批判する住民は多い。しかし、役場の自主財源はほんの一部で、ほとんど国からの交付金に依存している。つまり、都市で稼いだ人たちが納めた税金→国→地方の役場という流れでお金が入っている。

なぜ、日本の田舎は、ここまで自立心を失ったのか。

経済的に自立できていない子供が、ずっと「小遣いが少ない!」と文句ばかり言っているような状況。議員さんはいかに地域住民のクレームを役場に届けられるかが仕事になってしまっている。



宮崎県の諸塚村

あまりにも山奥でありながら、自立心をもち自治を維持してきた山村である。終戦直後、アメリカは、日本の強固な自治組織を解体しないと共産化しやすいと考えた。農地解放などのあめ玉をばらまきながら、同時に地域の自治の解体を積極的に進めた。戦後に共産党による「山村工作隊」が山村赤化運動を展開したという話を私自身多くの山村で耳にしたことがある。そんな戦後の状況の中で、GHQ(アメリカ)は、農山村の自治組織をできるだけ骨抜きにしようにした。

※ 農協の起こりもそのあたりと関連が深いようですが、その話はまた別の機会に・・・

そんな中で諸塚村は、各集落単位の自治を守り抜き、集落が特別地方公共団体という1つの自治組織として現在まで残っている。ものすごく辺鄙で不便な場所なんだけども、一人一人が村を維持していくために前向きに頑張っている。諸塚村には、日本の田舎の多くが失ってしまったものが、かろうじて残されているような気がする。


大きな地図で見る

価値を生み出し、その対価を得ることで地域経済が維持される。

西粟倉村では、村長のリーダーシップのもと、森林再生への集中投資が雇用を生みだし、それが人口維持につながっていくという好循環が生まれつつある。しかし、ここで留まっていては、これまでの経済構造を温存したままとなり、問題の本質は解決しない。つまり、「価値を生み出し、その対価を得ることで地域経済が維持される」というところまでもっていかないといけない。(株)西粟倉・森の学校という会社は、その部分に切り込むための会社。村ぐるみでの森林再生が、村ぐるみでの価値創出へつながっていくための橋渡し役を担うのが、森の学校という会社だと考えている。

森の学校という会社がお客様に売るのではなく、西粟倉村民とお客様とがつながっていくことが大事。村の営業部隊というよりは、営業活動の支援仲介部隊となるのが正しい姿だと思っている。

国からやってくる交付金(お小遣い)で外貨を得てきた農山村の経済。この構造も使えるうちにうまく利用する必要はあるが、国もそろそろしんどそうだ。なんとか、価値を生み出しお客様から対価をいただいて地域の経済を維持しなてくはならない。国から補助事業をうまく引っ張ってくるのが優秀な地方公務員の姿だったが、そのモデルも変わらざるを得ない。

まだ日本の田舎には資本主義経済が定着していない。

今あるのは「お小遣い経済」・・・とでも言った方がよいかもしれない。

かと言って、従来の都市・工業を中心とする貨幣経済を田舎に移転させるというのも間違っている。そのあたりの話はまた改めて書きたいと思います。貨幣経済で説明できないいろいろな要素(森とか自然とか歴史とか)を組み入れながら、これからの社会構造について考えていくと、生態学的なフレームに依拠していくことになるのです。

ということで、このブログのタイトルも「生態学的な視点から事業をプロデュースする」というものになっております。

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makoさんによる諸塚村の写真
http://box25056.exblog.jp/tags/諸塚村/
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