「自家用米のおすそわけ」の意味。生態系の一員としてヒトが暮らしていくために
「売るための野菜」の現実

田舎で仕事をしていると農協ってけっこうありがたい組織だなと思います。ローンとか保険とか、お葬式とか、シロアリ駆除とか、たくさんの生活支援サービスを地域住民に提供してくれている。農協は田舎において重要な社会インフラになっている。地域において大事な組織ですが、そのもともとの中心的な事業である農産品の流通においては、大きな問題を抱えています。



農家は自分でお客さんを見つける必要はありません。形や見た目が一定の規格におさまるように作りさえすれば、農協がそれを現金に交換してくれるからです。農家は農協に預金口座をもっているから、売上の入金や農薬代などの仕入れも農協が全部やってくれるから、農家は安心で楽ちんなのである。農家は、お米や野菜を食べてくれるお客さんのことなど意識する必要はない。農協というお米野菜の換金装置に持ち込むだけで、その後のことを気にする必要はない。その結果、農協は都市住民の「今の食生活」における大切なインフラにもなっている。食の分野で大量生産大量消費のシステムを支えている。都会のスーパーでお米や野菜を購入することができるのもある意味で農協のおかげです。

かくして農協のおかげで、農家は「売るための野菜」をがんばって作ればいくらかの現金を得ることができるようになり、消費者は「安くて見てくれのいい米と野菜」をスーパーマーケットに行けば購入できるようになった。


それは売るための野菜やから食べたらあかんで。薬いっぱい使ってるから。

換金するための米や野菜は、換金するという目的を達成するために「見てくれのよいもの」をつくらねばならず、そのためには大手の種メーカーが開発したF1の種を使い、農薬を使わなければならない。農薬や化学肥料をつかって大量生産が可能となるように開発されてきた種を農協から購入し、そして農協から農薬や化学肥料を購入して野菜を育てて、できた野菜を農協に出荷して換金する。

それは換金するということが目的だからそうするのであって、愛する家族が食べるための野菜やお米については別。愛する家族の命を守るための野菜やお米は、見てくれよりも安全が大切。ということで、「農薬をたくさん使う売るための野菜やお米」と「農薬を最低限に抑えた家族ための自家用の野菜とお米」を作り分ける農家が多くなっています。

「それは売るための野菜やから食べたらあかんで。薬いっぱい使ってるから」と犬に注意する農家。工場地帯に隣接するどぶ川から水を引き込んでいる田んぼでお米を生産し、「自分はここの米は食べない。全部農協に売るだけ」と話す農家。それが「売るための野菜」の現実なんですよね。残念ながら。



固定種の種を家庭菜園向けに販売されている野口種苗研究所の野口代表から聞いたお話ですが、日本の在来のスイカは甘くてとても美味しくって、そしてなんと縞模様がなかったそうです。でも皮が薄くて柔らかっためにトラックでの長距離輸送には向かなかった。つまり大量生産大量消費のシステムに乗せる上で大きな欠点をもっていたんです。そこで改良されたスイカが今の皮のしっかりした縞模様のあるスイカ。なにもかもが、こうやって1つの方向に沿って変えられてきた。このように構築されてきた大量生産大量消費のシステムに消費者に乗っかっておいてもらうためには、消費者には無知でいてもらう必要があったかもしれません。


「無知な消費者を前提とする大量生産大量消費の農業」を変革する挑戦



無知な消費者を前提とした売るための農産品に疑問をいただく人達は、消費者の側にも生産者の側にもいました。古くから有機農業に取り組んできた地域として知られている島根県の木次。山地酪農にも取り組む木次乳業が有名ですが、ここは地域全体で農薬をほとんど使っていないという話を現地で聞かせていただいたことあります。まず学校の給食をすべて地産地消でやることにしたので、会うことのないお客さんではなく、身近な子どもたちのために農業をやるという意識が地域に広がったようです。また、木次乳業の創業者である佐藤忠吉さんは、「農業者とは消費者の胃袋の中にまで責任を負うものでなければならない」とおっしゃっていたのが印象的でした。


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生産側にも消費者側にも気づいている人たちはいる。でもそれは点でしか存在しない。その点と点をなんとか結ぶところから食と農業を変えて行こうという挑戦を始めたのが、「大地を守る会」や「らでぃっしゅぼーや」などの宅配サービス業者。有機認証というものがない時代から始まっていたわけですが、そのような宅配業者の中には「販売用と自家用を区別していないこと」を農家との取引条件にしていたところもあるようです。

様々な人や組織が「知識を持って理解する消費者とその期待に応えていける農家」の関係構築を進めてきたわけですが、未だに点と点を結ぶという領域を出ていない。地域の生態系はひとつながりのものなので、がんばっている1つの農家がいてビジネス的に成功したとしても、地域の自然は取り戻せない。つまり地域で面的な展開にもっていかない限りは、ほんとうに豊かな自然を取り戻すということはできない。仮に地域全体の農業が環境保全型に変わったとしても、生態系の起点となる周辺の森が放置されていれば、地域生態系の劣化は止めることができない。

これも野口種苗研究所の野口代表からお聞きした話なんですが「大地を守る会」や「らでぃっしゅぼーや」などの宅配業者も「種から変えないといけない」ということに気がついていても、それを解決することができなかったそうです。というのは、宅配は箱に入れて送りますから、箱のサイズにうまく収まるようにある程度は規格化できていないといけないし、大きさがバラバラになったり収穫時期にばらつきが出るということはどうしても許容できなかったようです。固定種の野菜というところまで行きたかったけど、宅配という制約からそこには到達できなかった。つまり「無知な消費者を前提とする大量生産大量消費のシステム」から抜け出して「知識と理解がある消費者を前提とする大量生産と大量消費のシステム」を部分的に成立させたところで変革が止まっている。知識と理解があって十分なお金をもっている消費者にしか供給できていないというところもあります。

しかし、大地を守る会などの取り組みの積み重ねは、安全な農産品に対するニーズを拡大し、「理解している消費者」を拡大してきた。さらにインターネットの発達が生産者と消費者の関係を1対1で結ぶ可能性も出てきた。次の変革のステージ向かうための準備はどんどん進行してきている。


地域生態系の再生を目指して

なんとか森も田畑も川も含めて地域全体の生態系を再生させ、さらに多くの人が無理なく安全な野菜や米を食べることができるような仕組みはできないものだろうか。産業革命以降、生産者と消費者が分離されてしまったことで生じてきた問題を解決し、人が生態系の一員として健康に暮らしていく方法がないのか。

まだその答えは見つかっていませんが、ひとつの大きな糸口になりそうなものが見つかり実行に移すことができました。それが「農家の自家用米のおすそわけ」です。このサービスを活用する農家は小規模で自前で販路を持つことが困難であるとともに、そもそも自家用のお米づくりと野菜づくりが中心にになっています。自家用が中心だからこそ、余剰を農協に買い取ってもらっていくらか現金にしないと田んぼを維持する経費がまったく回収できません。しかし農協の買い取り価格も安くなりすぎていますから、もう田んぼはやっていけないぐらいの状況に追い込まれています。ある程度の金額で売れる米でないと自家用の米づくりも維持できないのです。山村の美しい風景は、人の手が行き届いた田んぼなしには考えられませんが、経営規模の小さい山村の田んぼは消滅の危機に瀕しています。この問題を解決していくためには、自家用米の余剰をそれなりの金額で購入していただく必要があります。



今回福島八郎さんのメダカ米の購入者を2家族限定で募集します。山あいにある小さな田んぼを家族のためだけに丁寧に作られています。そこで発生する余剰がおよそ2世帯分。生産は極めて不安定であるものの、丁寧につくられている自家用の野菜も作られています。お米は保存が効きますから、基本的にはお米代として毎月一定量のお米を特定のお客様にご購入いただき、それに「おまけ」として野菜がついてくる。このやり方であれば、野菜の大量生産を目指す必要はなく、家庭菜園の延長で美味しくて安全な野菜を都市部にいるお客さまにお届けすることも可能になるのです。米を中心にして、野菜を「おまけ」にするということが重要なポイント。売るための野菜にしなくても、お客さんにお届けできるし、自家用中心の小規模なお米づくりの収支を改善しつつ、さらに自家用を前提としてお客様に購入していただくことで環境や健康への配慮をより徹底することが可能になります。


期待の声がたくさん集まれば、未来が変わる

2世帯限定の八郎さんのメダカ米の募集に、多数の応募があれば西粟倉村全体のお米づくりが変わるかもしれません。応募多数であれば、八郎さんのあとに、同様の方式で購入者を募集する農家を増やしていける可能性が高まるからです。
そうなると村全体の生態系の再生ということが実現していくかもしれません。なぜなら西粟倉村は百年の森林構想を掲げ村全体の森林の再生にすでに着手しているからです。森も田畑も環境に配慮し地域全体の生態系が再生されたとき、西粟倉村の村民とその大切なお客様は、西粟倉村の豊かな生態系の一員として暮らしていくことが可能になるのです。

そんな夢を描きつつ、福島八郎さんのメダカ米の購入者募集を開始いたしました。
ご応募いただきながらも購入者になっていただけなかった方々には、次の購入者募集の際に優先的にご案内をさせていただく予定にしております。たくさんのご応募をお待ちしております。みなさまの期待の声がたくさん集まれば、きっと未来が変わる。そう信じています。

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※八郎さんのメダカ米の募集は終了しております。
 八郎さんの他に、新しく18名の農家さんがお米と野菜の直販に取り組まれることになりました。
 その募集についてはこちらをご覧ください→ http://bit.ly/pWKM1W
続きを読む >>
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百年かけて成熟する人の和を目指して
2006年ごろだったと思うのですが、「森林再生のカギ」という書籍の出版計画がありました。結局その本は出版に至らなかったのですが、その中で自分は「公的制度」に関する章を担当していました。2000年から2004年あたりはずっと森林・林業関連の制度設計などを手がけていましたので。

制度論に関する章とは別に、終章の一部分も担当になっていて、その原稿がひょこっと出てきたので、ブログに掲載しておきます。

「共有の森ファンド」が山村においてどのような意味を持つ挑戦なのかを次に書くといいつつ長い間ブログを
ほったらかしにしていたんですが、その話に入る前にちょうどよい内容だと思ったものですから。


「100年かけて成熟する人の和」を目指して

1.天の時、地の利、人の和
大事を成し遂げるには、天の時、地の利、人の和の3つが揃わなければならないとよく言われる。森林再生という大事は、いつどのようにして誰によって成し遂げられるだろうか。今は向かい風も追い風もたくさん吹いている。追い風の勢いが増して天の時がもうちょっとで来るかもしれないが、それはかなり先のことかもしれない。
地の利は、どうだろうか。日本の地形は急峻で、そして森林の所有は小規模分散型で、他の先進国に対して優位になれる材料は少ないと一般に言われる。しかし、地形が複雑で急峻だからこそ、日本には美しい自然がある。森林の再生というのは、日本の美しさを再生させていくこととほぼ同義であると私は思っている。社会が成熟し人々が本物の豊かさを求める時がくれば、日本という国には地の利があるのではないだろうか。
人の和は、人がつくっていけるものだ。天の時が来たときに、それをものにすることができる人の和をつくっておくようにしなくてはならない。誰か一人が、大事を成し遂げるのではなく、おそらく様々な立場にありながら、森林再生という志を共有し想いがつながっている人たちによって、大事が成し遂げられるのだろう。森林再生を成し遂げるための人の和を、天の時が来たときのために、つくっていきたいと私は考えている。

2.森林再生システムと林業塾
速水さんが社長を務める(株)森林再生システムの設立に私も参加させてもらった。当時、新しい風がいろいろと吹き始め森林再生のための天の時が間近に来ているかもしれないという感覚が強くあった。だから、まず森林再生システムという会社を立ち上げて、時が来る前に動きがとれる体制を整えておくことにしたのであった。会社を作ってもそこに人がいないことには体制が整わないので、何もできない。しかし、森林再生という大仕事が、すぐにビジネスとして形になるわけでもない。そういう状態でつくった特殊な会社だった。林業に例えるのであれば、すぐに収穫して収入が得られるわけでもないのに、まず植林のための地ごしらえをしたようなものである。しかし、未来のために、それは必要なことであった。
地ごしらえができたら、次に苗木を植えるという作業だ。森林再生システムにとって、これから育て上げていく苗木は、全国各地から速水林業の森に集まってくる志ある若者たちであった。そのための仕掛けとして実施したのが、2004年にスタートした林業塾であった。

3.林業塾2004から林業塾2005
林業塾2004の企画・運営は、私が主担当者としてやらせてもらうことになった。私は、農学部林学科を卒業してから民間のシンクタンクに就職したが、林業についての知識はほとんど就職して仕事をやりながら得たものであった。会社でも森林や林業に関する仕事をしている先輩はいなかったので、仕事を通じて速水さんらと出会い、林業の現場に接し、ほとんど耳学問で林業に関する知識を習得した。だから、大学では林業に関する実践的な講義や実習はほとんどないということも良く分かっていたし、現場に接しながら学ぶことの大切さも経験的に分かってきていた。そんなわけで、林業塾のプログラムは、「自分が学生のときにこんな実習がもしあったらよかったのに・・」と思うような内容にした。実際、自分が学生のときに林業塾に参加していたら、社会人になってから手探りで何年もかけて勉強したこと要点は、ほぼ1週間で学生のうちに体系的に習得できただろう。
林業塾2004には、日本全国から森林に対して非常に意識の高い熱心な人たちが塾生として集まった。学生の他、若手の林業家、林野庁キャリアの若手、県の林業職の職員、企業OBなど、様々であった。期間中は、毎日フィールド研修と講義を繰り返し、夜は遅くまで参加者と講師が一緒になって飲みながら語り合った。
「林業塾に来て林業の未来に希望が持てるようになった。」という参加者の感想が多かった。先進的な林業経営を行う速水林業に触れたことや、熱心な講師陣の存在がそのように思わせた部分もあったようだ。しかし、「森林について想いを持つ仲間が林業塾でたくさんできたのが一番の収穫だった。」という感想も多く、そういう仲間ができたことによって、林業の将来が明るく感じられるようになった部分もかなりあっただろう。
林業塾の主催側であった私は、「林業の未来に希望が持てるようになった。」と言ってくれる若者たちの姿を通して、明るい林業の未来を見つけ出すことができた。さらにうれしかったのは、林業塾の卒業生の中から、森林組合などの林業関係の職場に就職した人が確認できているだけでも6人も出てきた。林業塾で刺激を受けただけでなく、実際に林業の現場に飛び込んで、これからの林業を担っていく決心をした人たちがそれだけでてきてくれたのである。
うまくいくかどうか半信半疑で始めたところもあったが、終わってからは林業塾を毎年継続していくことができれば、森林再生を実現していくための人の和が確実に広がっていくはずだと考えるようになっていた。
翌年は林業塾2005を開催した。2004と同様に、全国から精鋭が集まった。1年目の2004で、真剣に林業をなんとかしようとしている若者たちは全員来てしまっていて、2年目にはもう来ないかもしれないと思うほど、2004の参加者はすばらしかった。しかし、2005でも、またすばらしい参加者に恵まれた。まだまだ、日本の中には林業をなんとかしたいという想いを持つ人たちがいるのだということが分かり、それだけでもとてもうれしかった。林業塾2004年の卒業生で森林組合に就職した遠藤さんに講師の一人として来てもらった。他にも、顔を出しくれた卒業生が数人いた。林業塾2006、2007と回を重ねていくごとに、OBの層が厚くなっていくのがとても楽しみである。

林業塾ではそれなりの参加費をいただいているので、参加者の本気度は非常に高い。だからこそ参加者にとっても充実した時間になる。しかし、それで主催している森林再生システムの方で利益が出ている訳でもない。かなり膨大な人手がかかる事業だからだ。しかし、スタッフも手を抜くことをなく、海山町の林業関係者もほんとうに誠心誠意サポートしてくれる。理由は簡単で、林業のことを真剣に考えているやる気のある参加者を塾生として迎える時間をともにするということが、とてもうれしくて楽しいのだ。私自身そうなのだが、地元の林業関係者も速水林業のスタッフも、普段にも増して林業塾の期間中は元気になる感じがある。同じ方向を持つエネルギーが同じ場所に集まると、それが増幅されるようだ。

4.森林再生を支える人の和
林業塾はまだ2回しか開催していないのだが、収益がでなくても、十分に持続可能な事業だ。関係者が元気になるし、何よりも確実に森林再生を支える人の和がこれによって広がっていくからである。林業塾の卒業生たちが、林業関連の事業者として、また行政職員として、全国各地で活躍しながらも、横のつながりを維持し、それが毎年林業塾を重ねるごとに層が厚くなっていくということを創造すると、これからの大変楽しみである。
林業塾に来たときは、まだ小さな苗木だった若者たちも、全国でこれから大きく成長していくことだろう。これから、何度か森林再生のための天の時があるかもしれない。そのときに、速水林業でともに学んだ同志たちの人の和が、大事を成し遂げていくことに貢献してくれるのではないだろうか。

林業というのは、次世代のために森を育て残していくことを目指すという仕事だ。次世代に引継いでいくという楽しみと夢が、林業にはある。この時間の長さこそが、林業の魅力だと思う。
林業塾を通じて人を育て、人の和を広げていくということも、長い時間をかけて地道にやり続けてこそ成果が出るものであり、だからこそ夢がある。次世代のために苗木を植え続けてきた先人のように、次世代のために人材の発掘と育成を地道に続けていきたい。
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「お小遣い経済」からの脱却に向けて
最初の記事からたくさんのリアクションをいただきありがとうございます。
この10年ぐらい、毎年5〜10箇所ぐらいの地域(主に山村)でコンサルタントとして仕事をしてきたなかでの認識を述べています。現在は岡山県西粟倉村という地域だけで仕事をさせていただいているのですが、西粟倉村について述べる場合には、そのことを明示するようにいたしますので、お読みいただく際にはご注意いただけますと幸いです。
また私自身が何らかの事業を直接手がける場合、または支援を行う場合、目的達成のための資金調達手段の1つとして国等の補助制度も有効活用するようには心がけてはおります。国の補助等を活用することを批判しているのではなく「お小遣い経済からの脱却」が日本の田舎が抱える最重要課題ではないだろうかと私は考えております。そのあたり、もう少しこの2回目の記事で詳しく書いてみようと思います。

常に輸血によって経済が維持されるという問題

日本の田舎は、「お小遣い経済」になっていて、国からのお金(お小遣い)に非常に大きく依存している。そのお金がお金の大元の出し手(都市住民を中心とする納税者)に対して適正な価値を還元する責任は負わなくていい。常に輸血によって経済が維持されるのが当たり前になっていて、そのことが田舎の抱える問題の本質ではないかということを、最初のブログで「資本主義が定着していない」という言葉で表現してみた。
もう少し何がどう問題なのか整理してみたい。

お小遣い経済の問題点は、次の2点。

1.お小遣いなので「お金の出し手に対して受け手が責任感を持たなくてもいい」ということ。

2.そもそも今の水準のお小遣いが持続する保証がないこと。


1.によって田舎のビジネスのレベルを下げてきて、それが田舎の競争力の低下を招いている。例えば森林組合。その経営の質もピンキリだが、森林関連の補助の独占的な受け皿である森林組合が行った森林整備の質が一般的に低くかつ効率が悪い(コスト高)ということはよく言われる。良い森を育てていくという目的のために、補助を手段として活用するのが本来であるが、補助がお小遣い化していて、お小遣いをもらうこと自体が目的化しているからだ。森林環境税や水源税と言った名前で、森林に投下する財源が各都道府県で新しくつくられたりしている。しかし、それで「よい森」がどれだけ生み出されているだろうか。どうしても顔の見えないお金はお小遣い化しやすいし、そのお金が未来のための投資ならずに、現在の雇用を維持していくためのフローとして消化されていく。つまり、輸血による生命維持が当たり前になって、体そのものが回復することになかなかつながらない。

2.の問題は、今後より深刻さを増していくと思われる。小泉内閣の時には、地方に配られるお小遣いがぐっと締められた。しかし一方で、選択と集中ということで、やる気のある地域には集中的に投資していく枠組みを整備する動きもあった。しかし、その後の政治のごたごたの中で、景気対策の名目で票を獲得するために積極的に地方にお金を配るというような予算が組まれたりしたのがここ数年。まだしばらくは続くかもしれないが、それほど長くは続かないのではないだろうか。輸血が当たり前になっていてそれで維持されている経済。そこで輸血が大幅に縮小されるようになると、田舎はたくさんの失業者を抱えることになる。先のことは分からないが、そうなるリスクはあると思っていた方がいいだろう。

上記の1.と2.を踏まえ、今なすべきことは「地域のマーケティング機能を強化するための集中投資」だと自分は考えている。お小遣いがたくさんもらえるうちに、それを消費するのではなく、未来への投資に積極的に配分するべきだ。今まではアメ玉をたくさん買うのに使ったお小遣いを、地域の能力を高めてお客さんからいただけるお金で地域の経済が回っていくことを目指すべきではないだろうか。過疎地域には、過疎債と言われるものすごい資金調達手段があって、7割ぐらいが交付金措置、つまり借金した瞬間にそれだけチャラになる。今のうちに、戦略的な投資ができた地域がこの先生き残っていけるだろう。「地域のマーケティング機能」は地域資源から商品を生み出しそしてお客様を生みだしていくことを地域が自前で行う機能のこと。それができないと、「この地域があってよかった」と言ってくれる人(お客さん)を増やしていくことができないし、いつまでも輸血に依存することになる。

今私が経営の責任者をさせていただいている(株)西粟倉・森の学校という会社は、国からもらえるお小遣いも手段として使えるだけ使いながら、あと1〜2年のうちの完全に経済的に自立し、自立度の高い地域経済を構築していくことに寄与できるようになることを目指している。会社としてまとまった借金をして来年に向けて人と設備にかなりの投資をすることになったが、それだけの借金をして投資ができるという状況に1年で到達できたのも、なんだかんだお小遣いを投資にうまく回すことができたからだと捉えている。もちろん、ちゃんと結果が出るのは早くて来年のことで、そこまでまったく気を抜くことはできないのだが。

次回は、経済的な自立を目指して、西粟倉村がどのような挑戦を行っているかをまとめてみたい。「顔の見えないお小遣い化しやすい税金」よりも、「顔の見える投資」を地域が受け入れ投資家に責任を持つということも、「お小遣い経済からの脱却」のための手段になります。西粟倉村では、「共有の森ファンド」によって共感する個人からの投資を受け入れるということも始めています。そのあたり詳しくは次回ということで。。
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日本の田舎の問題はきちんと資本主義が定着していないことだ。
ブログが新しくなりまして、その最初の書き込みになります。
ずいぶん長くブログをお休みしてすいませんでした。

さて、日本の田舎を再生していくために必要なことはなんだろう、問題の本質はどこにあるんだろう・・・ということについて、自分なりの考えを思い切りよく書いてしまうことから、新しいブログを始めようと思います。

その人の生み出す価値と収入の因果関係。

日本の田舎というのは、きちんとものを売っていくことで対価を得ることをしていない。
その人の生み出す価値と収入の因果関係がなくなってしまっている。

経済の中心は役場になってしまっている。そして役場はお金を配るところになってしまっている。役場からうまくお金をもらうことができる人が財産を築いてきた。土建屋さんはその中心だし、土建屋さんが仕事をして、その時に立ち退きが発生して補償金が出て、それで新築の家ができて大工さんの仕事になる。そういう役場から流れるお金で地域経済が支えられて来たという田舎が多い。田舎に行くと立派な家がたくさんある。しかし、その中には保証金により新築になった家も多い。

「自分たちの税金を役場が無駄使いする・・・・」と役場を批判する住民は多い。しかし、役場の自主財源はほんの一部で、ほとんど国からの交付金に依存している。つまり、都市で稼いだ人たちが納めた税金→国→地方の役場という流れでお金が入っている。

なぜ、日本の田舎は、ここまで自立心を失ったのか。

経済的に自立できていない子供が、ずっと「小遣いが少ない!」と文句ばかり言っているような状況。議員さんはいかに地域住民のクレームを役場に届けられるかが仕事になってしまっている。



宮崎県の諸塚村

あまりにも山奥でありながら、自立心をもち自治を維持してきた山村である。終戦直後、アメリカは、日本の強固な自治組織を解体しないと共産化しやすいと考えた。農地解放などのあめ玉をばらまきながら、同時に地域の自治の解体を積極的に進めた。戦後に共産党による「山村工作隊」が山村赤化運動を展開したという話を私自身多くの山村で耳にしたことがある。そんな戦後の状況の中で、GHQ(アメリカ)は、農山村の自治組織をできるだけ骨抜きにしようにした。

※ 農協の起こりもそのあたりと関連が深いようですが、その話はまた別の機会に・・・

そんな中で諸塚村は、各集落単位の自治を守り抜き、集落が特別地方公共団体という1つの自治組織として現在まで残っている。ものすごく辺鄙で不便な場所なんだけども、一人一人が村を維持していくために前向きに頑張っている。諸塚村には、日本の田舎の多くが失ってしまったものが、かろうじて残されているような気がする。


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価値を生み出し、その対価を得ることで地域経済が維持される。

西粟倉村では、村長のリーダーシップのもと、森林再生への集中投資が雇用を生みだし、それが人口維持につながっていくという好循環が生まれつつある。しかし、ここで留まっていては、これまでの経済構造を温存したままとなり、問題の本質は解決しない。つまり、「価値を生み出し、その対価を得ることで地域経済が維持される」というところまでもっていかないといけない。(株)西粟倉・森の学校という会社は、その部分に切り込むための会社。村ぐるみでの森林再生が、村ぐるみでの価値創出へつながっていくための橋渡し役を担うのが、森の学校という会社だと考えている。

森の学校という会社がお客様に売るのではなく、西粟倉村民とお客様とがつながっていくことが大事。村の営業部隊というよりは、営業活動の支援仲介部隊となるのが正しい姿だと思っている。

国からやってくる交付金(お小遣い)で外貨を得てきた農山村の経済。この構造も使えるうちにうまく利用する必要はあるが、国もそろそろしんどそうだ。なんとか、価値を生み出しお客様から対価をいただいて地域の経済を維持しなてくはならない。国から補助事業をうまく引っ張ってくるのが優秀な地方公務員の姿だったが、そのモデルも変わらざるを得ない。

まだ日本の田舎には資本主義経済が定着していない。

今あるのは「お小遣い経済」・・・とでも言った方がよいかもしれない。

かと言って、従来の都市・工業を中心とする貨幣経済を田舎に移転させるというのも間違っている。そのあたりの話はまた改めて書きたいと思います。貨幣経済で説明できないいろいろな要素(森とか自然とか歴史とか)を組み入れながら、これからの社会構造について考えていくと、生態学的なフレームに依拠していくことになるのです。

ということで、このブログのタイトルも「生態学的な視点から事業をプロデュースする」というものになっております。

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makoさんによる諸塚村の写真
http://box25056.exblog.jp/tags/諸塚村/
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