2014.10.31 Friday
ヨソモノであり続ける
2014年10月に4回に分けて山陽新聞に記事を書かせていただきました。山陽新聞さんのご了解をいただき、その内容を個人ブログにも掲載させていただきます。
1.ヨソモノであり続ける
西粟倉村に関わらせていただくようになって10年近くになるが、未だに単身赴任で、住民票は村にはなく、村に骨を埋める予定もない。「村民になったらどうだ」と言っていただけるのはうれしい。でも、自分のような不器用な人間は、ヨソモノであり続けるべきだろう。
地域でも会社でも、簡単に合意形成できることだけが実現されていく。たとえ悪循環の流れの中にあることでも、既定路線にのっていれば合意が得られやすい。だから合意によって悪循環から離脱して好循環を生み出すというのは無理なこと。批判を浴びながら行動し、なんとか結果を出し、その結果によって事後的に合意をとるしかない。そこまでいけば、新しい流れにそって物事が動く。しがらみを背負いながら既定路線から離脱していく力のある人もおられる。しかし、そんな器用さや精神的な強さは自分にはない。
(株)西粟倉・森の学校は創業から間もなく5年。私がヨソモノでなければ、おそらく経営責任者になることもなかった。結果が出せなければ、村から出ていくことになるだろうが、ヨソモノだからこそ出ていくこともできる。ただしその時は、借金返済の責任は出ていく私について来る。そういう責任も負わせていただいているから思いきった挑戦もできる。良い結果が出せたら、つまり森の学校の経営が安定成長軌道にのればどうなるか。私の役割は終わるので、やっぱり村から出ていくことになるだろう。1つの冒険の旅が終われば、また次へ。ゴールは自らの存在価値を失うこと。そういう仕事だと思っている。
2.可能性を見つけ出す仕事
職業を聞かれても未だにうまく答えられない。起業を目指す方々の研修講師をさせていただくこともあれば、企業や行政のコンサルタントとして仕事をすることもある。ほとんど無報酬だが、役員として経営に関わる会社も4つほど。時間配分的には森の学校50%、その他50%ぐらい。未だに自分がやっていることをうまく言語化できないが、「そこにある可能性を見つけ出して目に見える形にする仕事」だと思っている。どんな地域にも、人にも、木にも、なんらかの可能性があると信じている。だが、自分の力量が足りない場合には、見つけることができない。でも見つけようとしないと見つからない。森の学校のオリジナル商品で、ユカハリタイルというものがある。腐れなどの損傷がある板でも、短い長さにして使える部分だけを使って商品にすることを目指して開発した。タイルカーペットの代替品としてオフィスの床などで使われていて、年間6万枚ほどの生産量になっている。この商品が売れるようになって、たくさんの間伐材を使うことができるようになった。しかし、こうして商品にすることができたのは、まだほんの少し。村には、見つけることができていない可能性はまだまだある。可能性は見えているが、形にできていなものもたくさんある。商品として形にできたものは、村にある可能性の数%もないだろう。やるべきことはまだまだ無限にある。だから、地域の中で、多様な挑戦が次々と生まれてくることが大事だが、どうすればそのような状況が作れるのか。悩みながら試行錯誤している。
3.仲間を増やす
地域に無限にある可能性と向き合うためには、仲間が必要だ。多種多様なチャレンジが地域から生まれてこないといけない。森の学校という1つの会社だけでは、どうにもならないことだ。森の学校を卒業して村で起業した人も多い。最近ではablabo.の大林さん。自分が納得できる食用油の製造販売を手掛けるという。簡単ではないと思うが、こういう個性的な挑戦が増えていくことで、多様性が高まって行く。自分としては、こういう人たちは大事な仲間だと勝手に思っているが、共通する目的は持っていなくていいと考えている。同じ地域で何かにチャレンジしているということだけで価値があるし、それぞれが精一杯そこで生きていくということに意味がある。「俺は俺ができることをここでやってみる。お前はお前のできることをここでがんばれよ。」そういう「ここ」が共有できている感じの仲間意識。そういう「緩やかな仲間たち」が増えていく中では、たくさんの連携も生まれるが、その一方でお客さんを奪い合うような競争も発生する。それはそれで必要なことだろう。切磋琢磨していくことで、強い群れになる。その結果として、多様性に富む魅力的な地域が醸成されていくだろうから。西粟倉村の若杉原生林では、いろんな木や草が、それぞれの個性を持ちながらそこで、厳しい生存競争の中で切磋琢磨しながら生きている。生まれたばかりの小さな子どもの木もあれば、数百年を生き抜いてきた威厳のあるおじいさんの木もある。地域社会を考える上で、森はとても良いお手本だと思っている。
4.地域の沈静化を目指して
地域は活性化すればいいのか。活性化させようとする仕事をしながら、いつもこの問いが頭の中にある。このまま行くと悪循環が加速していくので、その悪い流れから離脱するためには、やはり活性化というフェーズは必要だろう。でも、活性化し続けていればいいのか。右肩上がりの経済成長を際限なく追及するのか。それも違う気がする。やはり、地域はどこかで沈静化すべきだ。あたり前の日常を大切にしながら、穏やかに日々が流れ、子どもを産み育てて、その子がまた親になっていくということが繰り返されていく。いつか、そういう沈静化にたどり着くべきではないか。そこにたどり着くための手段としての活性化なのだろう。悪循環から好循環へのシフトが活性化というフェーズで、動的平衡状態に達するとうのが沈静化ではないかと考えている。動的平衡状態というのは、西粟倉村の若杉原生林のように、常に新しい命が生まれ、また同時に死んでいく命もあるが、全体としてはほぼ一定の状態が保持されている成熟した状態のこと。いつか沈静化した西粟倉村を見てみたいと思うが、自分の役割は活性化のフェーズを軌道に乗せていくところまで。地域に眠る可能性を掘り起こす挑戦者は、私が何もしなくても次々に出現してくるようになっていて、そろそろ自分のゴールである「存在する価値を失う」という状況に近づいているのではないか。いや、すでにそうなっているかもしれない。少なくとも、区切りをつけるタイミングを考える時期にはなっている。
1.ヨソモノであり続ける
西粟倉村に関わらせていただくようになって10年近くになるが、未だに単身赴任で、住民票は村にはなく、村に骨を埋める予定もない。「村民になったらどうだ」と言っていただけるのはうれしい。でも、自分のような不器用な人間は、ヨソモノであり続けるべきだろう。
地域でも会社でも、簡単に合意形成できることだけが実現されていく。たとえ悪循環の流れの中にあることでも、既定路線にのっていれば合意が得られやすい。だから合意によって悪循環から離脱して好循環を生み出すというのは無理なこと。批判を浴びながら行動し、なんとか結果を出し、その結果によって事後的に合意をとるしかない。そこまでいけば、新しい流れにそって物事が動く。しがらみを背負いながら既定路線から離脱していく力のある人もおられる。しかし、そんな器用さや精神的な強さは自分にはない。
(株)西粟倉・森の学校は創業から間もなく5年。私がヨソモノでなければ、おそらく経営責任者になることもなかった。結果が出せなければ、村から出ていくことになるだろうが、ヨソモノだからこそ出ていくこともできる。ただしその時は、借金返済の責任は出ていく私について来る。そういう責任も負わせていただいているから思いきった挑戦もできる。良い結果が出せたら、つまり森の学校の経営が安定成長軌道にのればどうなるか。私の役割は終わるので、やっぱり村から出ていくことになるだろう。1つの冒険の旅が終われば、また次へ。ゴールは自らの存在価値を失うこと。そういう仕事だと思っている。
2.可能性を見つけ出す仕事
職業を聞かれても未だにうまく答えられない。起業を目指す方々の研修講師をさせていただくこともあれば、企業や行政のコンサルタントとして仕事をすることもある。ほとんど無報酬だが、役員として経営に関わる会社も4つほど。時間配分的には森の学校50%、その他50%ぐらい。未だに自分がやっていることをうまく言語化できないが、「そこにある可能性を見つけ出して目に見える形にする仕事」だと思っている。どんな地域にも、人にも、木にも、なんらかの可能性があると信じている。だが、自分の力量が足りない場合には、見つけることができない。でも見つけようとしないと見つからない。森の学校のオリジナル商品で、ユカハリタイルというものがある。腐れなどの損傷がある板でも、短い長さにして使える部分だけを使って商品にすることを目指して開発した。タイルカーペットの代替品としてオフィスの床などで使われていて、年間6万枚ほどの生産量になっている。この商品が売れるようになって、たくさんの間伐材を使うことができるようになった。しかし、こうして商品にすることができたのは、まだほんの少し。村には、見つけることができていない可能性はまだまだある。可能性は見えているが、形にできていなものもたくさんある。商品として形にできたものは、村にある可能性の数%もないだろう。やるべきことはまだまだ無限にある。だから、地域の中で、多様な挑戦が次々と生まれてくることが大事だが、どうすればそのような状況が作れるのか。悩みながら試行錯誤している。
3.仲間を増やす
地域に無限にある可能性と向き合うためには、仲間が必要だ。多種多様なチャレンジが地域から生まれてこないといけない。森の学校という1つの会社だけでは、どうにもならないことだ。森の学校を卒業して村で起業した人も多い。最近ではablabo.の大林さん。自分が納得できる食用油の製造販売を手掛けるという。簡単ではないと思うが、こういう個性的な挑戦が増えていくことで、多様性が高まって行く。自分としては、こういう人たちは大事な仲間だと勝手に思っているが、共通する目的は持っていなくていいと考えている。同じ地域で何かにチャレンジしているということだけで価値があるし、それぞれが精一杯そこで生きていくということに意味がある。「俺は俺ができることをここでやってみる。お前はお前のできることをここでがんばれよ。」そういう「ここ」が共有できている感じの仲間意識。そういう「緩やかな仲間たち」が増えていく中では、たくさんの連携も生まれるが、その一方でお客さんを奪い合うような競争も発生する。それはそれで必要なことだろう。切磋琢磨していくことで、強い群れになる。その結果として、多様性に富む魅力的な地域が醸成されていくだろうから。西粟倉村の若杉原生林では、いろんな木や草が、それぞれの個性を持ちながらそこで、厳しい生存競争の中で切磋琢磨しながら生きている。生まれたばかりの小さな子どもの木もあれば、数百年を生き抜いてきた威厳のあるおじいさんの木もある。地域社会を考える上で、森はとても良いお手本だと思っている。
4.地域の沈静化を目指して
地域は活性化すればいいのか。活性化させようとする仕事をしながら、いつもこの問いが頭の中にある。このまま行くと悪循環が加速していくので、その悪い流れから離脱するためには、やはり活性化というフェーズは必要だろう。でも、活性化し続けていればいいのか。右肩上がりの経済成長を際限なく追及するのか。それも違う気がする。やはり、地域はどこかで沈静化すべきだ。あたり前の日常を大切にしながら、穏やかに日々が流れ、子どもを産み育てて、その子がまた親になっていくということが繰り返されていく。いつか、そういう沈静化にたどり着くべきではないか。そこにたどり着くための手段としての活性化なのだろう。悪循環から好循環へのシフトが活性化というフェーズで、動的平衡状態に達するとうのが沈静化ではないかと考えている。動的平衡状態というのは、西粟倉村の若杉原生林のように、常に新しい命が生まれ、また同時に死んでいく命もあるが、全体としてはほぼ一定の状態が保持されている成熟した状態のこと。いつか沈静化した西粟倉村を見てみたいと思うが、自分の役割は活性化のフェーズを軌道に乗せていくところまで。地域に眠る可能性を掘り起こす挑戦者は、私が何もしなくても次々に出現してくるようになっていて、そろそろ自分のゴールである「存在する価値を失う」という状況に近づいているのではないか。いや、すでにそうなっているかもしれない。少なくとも、区切りをつけるタイミングを考える時期にはなっている。
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